「志ん朝」と「談志」。何が違ったのか?
大事なことはすべて 立川談志に教わった第8回
■「唯虚論」
私が入門した20年前は、当時懇意にしていた岸田秀先生の「唯幻論」をよりわかりやすくさせた、「唯虚論」を唱えていまいた。
「虚実っていうだろ?なぜ虚のほうが先にくるか考えたことがあるか?それはな、世の中の大半が虚だからだ」
移動の電車の中で突然、言われたことがあります。
いきなり落語の「ら」の字もわからない前座である私ごときを、実験台として反応を確かめていたのかもしれませんが、こちらとしては、ただ師匠の機嫌を損ねないようにうなずくぐらいの反応しか示せませんでした。
あの頃は「事実といわれるものなんざ、すべてではなく、むしろこの世の一部でしかない。むしろ虚がすべてだ」といったアプローチで、落語にも最接近していた時期だったように思います。
で、そのようなさらなる独自の理論を新たに構築するものと思っていたら、それを更地にするかのような、晩年の「イリュージョン論」へと飛躍させてしまいました。「人間なんかもともと意味不明なものだ」という洞察に基づいた落語の再々構築、晩年の集大成と言ってもいいぐらいの大転換です。
この時期の代表的な小噺に「信号赤だよ」「女房に言うな」というのがあります。「お約束」という「予定調和」を完全に逸脱するので、聴衆の感情はどこに飛んでいっていいかわかりません。
ここまでくれば、「ピカソのゲルニカ」です。まるで捕捉できないのです。つまり、捕捉できないから補足説明もできなくなります。
ただし、一度この「躍動的なトリップ感を」味わった聴衆は、さらなる陶酔感を享受しようと、さらなる刺激を談志に求めることになります。で、本人はこの期待に応えようとして、さらなる強度な刺激あふれる落語を展開し続けていく・・・そんな「苦悩のスパイラル」の渦中にいたように思います。